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私がヨガクラスで身体に触れる指導をしない理由

私のヨガクラスでは、基本的にポーズを修正したり身体に触れる指導はしていません。
その理由は、私がヨガで大切にしている信条があるから。

まずヨガのポーズには完成形といわれる正しいカタチがあります。
ヨガ愛好家やヨガ指導者は、その完成形を目指して日々練習していたりするのですが、私自身はそれはちょっとズレてると思っています。

まずヨガのポーズをおこなう意味ですが、僕は”内観”だと捉えています。

今この瞬間の自分の身体と心に向き合って観察し、それを自分で整えていく。

その内観や整えていくためにヨガのポーズをとり、呼吸をコントロールしていく。

それが出来るようになってくると、いつでも自在に自分自身をコントロールできるようになってくるし、些細な変化や身体の声に耳を傾けられるようになってくる。

そうなると身体が悲鳴を上げる前に身体のサインに気付けてリカバリーできるようになっていくし、ストレスフルなこの現代社会を生き抜いていくのもずいぶんと楽になっていきます。

それこそが今の時代に生きる僕らがヨガを実践する目的や意味なんだと思っています。

そして、そうした内観や自分の身体の細部に意識を行きわたらせてコントロールすることができるようになった結果、完成形のポーズや難度の高いポーズができるようになっているというだけの話しです。

つまり、目的と手段や過程の違いなんですね。

私が実践し伝えているヨガは、毎日の日常を心地よく過ごしていくことを目的とした内観や自己コントロール法であって、そのための手段や過程がヨガのポーズや呼吸法です。

そう考えた時、指導者が身体に触れてポーズの修正をすることは、内観を奪うことになるんですよ。

僕らの身体の状態は日々めまぐるしく変わり、同じ一日の中でも時間帯によっても変わってきます。

だから、これまではここまで曲がっていたのが、その時にはあまり曲がらなくなっていたということは普通なわけです。

そして、そうした身体の変化やいつもとの違いに気づき、それを静かに観察していくことをヨガのポーズの実践でおこなってるわけです。

それを指導者が横から入ってきて、正しいカタチに修正したとしたら、どうでしょうか?

その変化や違いに気づくタイミングを失ってしまいますよね。

ただ、そのヨガの目的が「正しいカタチを習得して難度の高い映えるポーズができるようになる」ことを目的とした競技的なものであれば、修正していく指導法で良いと思います。

ただ誤解してほしくないのは、これはどちらのヨガが正しいか間違ってるかというジャッジの話しではありません。

「何を目的としているかで指導のアプローチが変わってくる」という事実です。

ですからヨガを受ける人は、そうした違いをわかったうえで、自分がどのような効果や意味をヨガに求めているのかと照らし合わせて通うヨガクラスを選んでいただければと思います。